|
|
なる16mm映画を野方区民ホールで観た。二回上映の後の日だ。
余裕をもって出向いた私は真ん中に座れたが、
上映時間が迫ってくると定員(248席)がほぼ満席になった。
青池憲司監督の舞台挨拶によると初日も満席だったそうな。
それと地元の熊本から来られた『肥後琵琶弾き山鹿良之夜咄』の著者の木村理郎との
トークもドキュメンタリーの延長として、聴き応えがあった。
最後の琵琶法師と云われる山鹿良之翁の96歳で亡くなる数年前の貴重なドキュメンタリー・フィルム。
監督は『日本幻野祭 三里塚』(71年)の青池憲司。
弾き語りと神事と日常の描写が「小栗判官」の物語の弾き語りと絵巻を縦糸に編まれる。
肥後の国の座頭の琵琶法師は、まさに日本のブラインド・ブルースマンであり、
その無骨な琵琶の音と入魂の肉声には心を奪われる。
芸人魂ここにありと誰しも思うはずの映像だ。会場には音楽家らしき若者も多くいた。
昔渋谷のジャンジャンで観た高橋竹山もそうだあったが、年季の入ったMCがすこぶるいい。
人情、冗談、悲哀、謝意…、本番の後先のMCも立派な芸だ。
まるで「ここで弾き語りをさせて頂くのは不束ながら私という半端もんでござい」と、
言っているかのような芸人の下から目線の精神に心から拍手を送った。
もし舞台、いや人前や神前に立って何かをやらさせてもらおうとするなら、
この山鹿良之の霊魂に俯瞰されているのだと思うことにしよう。
何よりも信頼におけるのは孤高の独演であり、
昔ながらの電気装置を介せぬ生音の響きである。それらは芸の原点だ。
山鹿良之の芸は丹田から発せられている。目が見えなくても、耳が遠かろうとも、
呂律がもつれようとも、すべてを発しているところが丹田なのだから芸が細ることはない。
竃払いや講や供養の神事で唸る般若心経のなんと味わい深いことか。
琵琶弾き語りの山鹿良之の読経は、その節回しと、
ベンベンと響く音と間の自在な緩急の妙が独特で斬新だ。
このキャリアの高い域になると意図してそうしているのではなく、あるがままでそうなっているのであろう。
滔々と流れている空気のような川に、川のような空気が流れる。
お神酒の呷り共に、こんな異界を引き寄せてくれる神がかりの琵琶法師だ。
いいものを観させて戴いた。期待通りだった。
いい映画は楽して貴重な経験したような気になる。
『琵琶法師山鹿良之』を感慨深く観終わって席を立つと一人の若者に声をかけられた。
当店で山賀画伯の縁で飛び入りライブ(6.21)やったと時に来ていたサックス奏者だった。
何やら背後で私のことを宣伝してくれている声を聞きつつ帰路に就いた。
3881-147718
|
|